3月28日(木) A 500m Finalist--Satoru Terao (JPN)

 最終日までの2日間。長かったようで短かった、とても不思議な時間だった。早くオリンピックを終えて楽になりたいという僕と、まだまだもう一種目あるんだ!と強く自分に言い聞かせている僕の2人がいた。とても辛かった。

 500mの2日前、僕はサブリンク(練習専用会場)で滑っていた。前日の転倒でスケートのブレード(刃)が曲がってしまい、氷とうまく合わなくなっていた。メインリンク(試合会場)で練習ができる日だったが、あちらに行くとたくさんの他国選手が一緒に練習する為、きれいな氷で調整する事が不可能だと判断した為だった。少し滑っては氷から上がり、何度も細かくブレードを調整した。簡単にセッティングが決まる時もあるのだが、今回は調整すればするほど悪い方向にいっていた。僕はかなり焦ったが、表情には決して出さなかった。

 そして、実はもう一つ大きな問題があった。1500mの転倒で首を痛めたらしく、直後は良かったものの、翌日からものすごい激痛が走った。朝起き時、あまりの痛さに首を動かす事が出来なかった。すぐに先生に見てもらい、何度も理学療法をして頂き、少しずつ首の可動域を広げていってもらった。電気をあてたり超音波もやった。出来る事はすべてやった。

 しかし、500m前日にはもっと激しい痛みになっていた。もう目の前が真っ暗だった。この時、明日の500mを棄権しようと本気で思った。この4年間、長野での悔しさが僕をここまで支えてくれたのに、このままで終わってしまうと思ったら涙が出そうだった。先生にお願いして、強い痛み止めを出してもらった。もう出来る事はすべてやったのだから・・・。その1時間後から次第に痛みが和らいできた。公式練習で軽く滑ってみたが思ったよりも痛くない。そして、スタートダッシュもしてみたが何とかいけそうだという確信をした。かすかな光が差してきた。

 500mの試合当日の朝、僕は一人メインリンクで滑っていた。よほど調子が悪い選手以外、試合当日に滑る人など普通いない。疲労も溜まってしまう。しかし、僕の場合ブレードの状態が完璧ではなかった。まあ何とかなるだろうと今までは思っていたかもしれない。しかし、ここまで滑れるチャンスを与えてもらったから完璧にしたかった。試合直前にブレードを調整するのはとても勇気がいる。もしここで失敗すれば、もう終わりだから。でも何とかしたかった。とても強い自分がそこにはいた。

 何度かセッティングし、もう少しだけ調整したいなあと思った時、コーチから「この辺でやめておいたらどうだ」と言われた。朝一番の氷は非常に堅く、実際の試合が始まるとたくさんのお客さんが入る為、リンク全体が暖かくなり、当然氷も柔らかくなる。僕はグッと気持ちを押さえて納得した。そしてもう一度だけ確認のために滑り出した。2万人近く入る会場の中で、たった一人滑る僕の氷を蹴る音が会場全体に響き渡る。ここからがドラマの始まりだと思った。

 公式練習を終えても、やはり実際に試合で滑って、予選を通過するまではブレードに対する安心感は生まれてこない。予選を控え靴を履いていた僕は初日以上に緊張した面持ちだった。予選がスタートし序盤から先頭に立った。最初のコーナーを駆け抜け、そして次々にコーナーを回るたびに「いける!」と確信した。予選2位通過。準々決勝1位通過。長野の時果たせなかった準決勝まで駒を進めた。長野を越えた!4年間の呪縛から解けた。

 準決勝。僕は3コース。1、2コースにアメリカ、カナダの強敵がいた。スタートは思いっきりいった。3コースからトップに出て、正直自分でも驚いた。そして迷う事無く全力で疾走した。滑る事が楽しくてしかたがない。こんなにオリンピックで伸び伸びとスケートができて本当に嬉しかった。本当に積極的な僕だった。ラスト1周で後ろから押されて転倒した時は驚いたが、救済措置で3回目のオリンピック(通算個人7種目)で初の決勝進出。オリンピックだという緊張感は全くなく、自然とその空気に同調していた。

 決勝のスタートラインに並ぶ前、僕はその雰囲気をしっかりと感じ取っていた。最高の雰囲気だった。過去2回のオリンピックで、こんなすばらしい舞台(決勝)を逃していたなんて、なんてもったいない事をしたんだと思った。僕は何度も大きくうなずき、自分はできると言い聞かせた。結果は・・・5位だった。所詮入賞に過ぎないと思われるかもしれないが、僕にとっては大きな、大きな価値のある5位だった。リレハンメルオリンピック(94年)の1000mで4位になった事があるが、その時はB決勝(5−8位決定戦)で2位(トータル6位)になり、決勝の2人が失格した為の繰り上げ4位。その時とは全くの別格である。

 僕はインタビューでまたも涙した。もちろん長野の時とは違う涙だ。納得できた。もちろんメダルは取れなかったから回りの評価は違うだろう。自分の事を評価なんてしない。評価とは回りの人がするものだから。

 1000mの失格から始まり、1500mの転倒。そして首の痛みから棄権も覚悟した500m。僕は最後まで諦めなかった。たくさんの苦難を乗り越えて決勝まで進んだ。僕は最後までやり遂げた。そして、オリンピックは幕を閉じた・・・。

 翌日、ある方からこんなメールが届いた。

「負けない人が強いとは思わない。負けても、もう一度挑戦する人が強いと思う。思い通りにいかないから、ショートトラックはおもしろい。思い通りにいかないから、人生はおもしろい・・・」

と。

 僕は長野五輪の敗北から戦い続けた。僕はソルトレークでまた一つ大人になった。

<完>


3月27日(水) 五輪1500m

 1日ゆっくりと休養した後、翌日からまた氷上練習を再開した。

 たくさんの報道関係者がリンク上の観覧席から顔を覗かせていた。僕は特に気にする事無く練習に打ち込めていた。時より笑顔が自然と出てきた。別に無理しているわけではなく、調子が悪くなく逆に良かったからだと思う。滑る事がやはり楽しかった。このまま行けば大丈夫!そう信じていた。

 試合当日。1000mの事など全く気にする事も無く、試合を向かえることができたと思っていた。W−UPもいつも通り。今日から学生時代の友達も観に来てくれるとあって、余計燃えていた。

 予選を迎える。そしてスタートの号砲。レース展開はゆっくりで、非常に落ち着いた気持ちで滑る事ができていた。途中一度だけあまりのリラックスさに心の中で笑った。しかし、残り3周からの仕掛けどころだった。トップで滑っていた僕をインから韓国選手が抜いていった。すぐ追いかけたが離されるばかり。さらにフランスの選手にも抜かれ、ゴールしてみればギリギリの3位通過。どこかで歯車が噛み合ってなかった。体が思い通りに全然動かない・・・。

 気持ちを入れ替えて迎えた準決勝。予選のレースを反省し、積極的に前でレースを引っ張ろうと考えていた。スタートラインで名前をコールされる。自然と気合いの入ったポーズが出た。レースが始まり、予定通り前を引っ張る。何度も混戦になり、なかなか先頭をキープできないでいた。一度四番手まで下がった。残り5周くらいに3番手の選手を抜きに行った。多分そのままいけば抜ききれていたと思う。しかし、一瞬「また失格したらどうしよう」。頭の中をよぎった。中途半端に抜きに行った結果、接触し転倒。後ろにいた選手を巻き込み転倒させたとして、またも失格。

 どうしよう・・・。

 何もかもずれていた。1000mの事など吹っ切れていたと思っていたが、体が今の状態を表していた。僕は悩んだ。すごく混乱した。長野から4年。あの500mの転倒から再起を誓った。しかし、2種目終わって2つとも失格。この4年間一体何の為にがんばってきたのかと、すごく悩んだ。長野の時と全く同じではないかと自分に腹が立った。いや、そんな事はどうでも良かったかもしれない。ただ、調子が良いのに結果が出ない。それに対して苛立っていた。今回のオリンピックの毎日が非常に長く感じた。いっその事、早く終わって楽になりたいとも思ったし、オリンピックなんて無くなってしまえとも思った。これさえなければと本当に思った。今日から最終種目の500mまでの事を考えたら、すごく怖かった。

<続く>


3月21日(木) 1000m終了〜一夜明けて・・・

 試合会場から、帰りのシャトルバスに飛び乗る。隣にドイツの女子選手が座った。開口一番「Why did you be disqualified?」(=なぜ、あなたは失格されたのですか?) 僕はただただ分からないと答えた。宿舎に戻ってもそれは何度も聞かれた。僕は同じ事を繰り返し答えていくだけだった。

 部屋に戻り、炊いてあったご飯をよそり、日本から持って来た味噌煮込みうどんと一緒に食べた。妙に心がホッとした。安堵感で一杯になった。シャワーを浴びて、布団にもぐり込んだ。とにかくあまり考え込まないようにはしていた。眠れるかなあと思いながらウトウトしだした。

 思ったよりは深く眠れたようだ。次の1500mまで中3日間あったから、今日は練習を休む事にした。気分転換も必要だと考えた。朝食後メールを開き、そして僕は目を疑った。受信件数100数件と表示される。「未だかつて無いよ、そんな事」と思いつつ、一つ一つ目を通していった。様々な意見がそこには書いてあった。かなり感情的なメールもあった。僕は言われれば言われるほど少し辛かった。次に向かおうと思っている気持ちと、あのレースの事を思い出し、過去を引きずってしまいそうな自分が心の中で闘っていた。僕は街に出る事にした。

 街の一角に「JAPAN HOUSE」という建物がある。そこに行けば多少の日本食を食べられる事を知っていた。無性に日本料理が食べたくてしょうがなかった。そこでケント・デリカットさん(注:こちらに写真を掲載)と出会い、いろいろなお話をした。写真も撮った。偶然、そこには日本選手団の団長である竹田さんがいらっしゃった。今から日本選手団として記者会見(1000m失格についての)を開くと言われ、昨日の事について教えて欲しいと言われた。僕は思った事を直にお話した。

 記者会見を行う事を僕は全然知らなかった。その事を言われた時少し怖かった。僕の気持ちとは関係なく、今回の問題が一人歩きしてしまっているのではないかと・・・。少なくともその時は思った。ただ、ゆっくり考えてみると、僕を試合に集中させる為の最大限のご配慮では無かったのではないかと。やはり選手としては次の試合に集中したいし、いろいろやっていてはそれはできないから・・・。僕は少し救われた。

 おみやげ屋をたくさん回ったが、結局ほとんど何も買わなかった。今思えば買い物の事など考えられなかったかもしれない。でもそこら中歩き回った。最後にデルタセンター裏のモール(注:こちらに写真を掲載)へ行き、少しだけお店を見て歩いた。しかし、無性に帰りたくなった。僕は選手村行きのシャトルバスに乗り込んでいた。

<続く>


月16日(土) 2日目1000m

 初日から2日空けて1000mが行われる。慣れと言うべきか、初日よりも若干緊張もほぐれてきて、より良いイメージが湧いてくる。

 リンクに着いてから、少し時間があったから女子の公式練習を見ていた。そこに小谷実可子さんがやって来た。「調子はどう?」と聞かれると、「悪い感じはしないですね」と答えた。

 僕等の公式練習時間になり、いつも通りに氷の感触を何度も確かめながら滑った。う〜ん、悪くない。練習を終えてリンクを上がろうとすると、観客席から陣内貴美子さんが「焦らなくて良いからね。大丈夫!」と大きな声で言ってくれた。その時は周りから見ると僕は焦っているように感じるのかなあと思った。控え室に戻り、もう一度気持ちを確かめるように頭の中を整理した。

 準々決勝。この辺りからレベルが高くなり、決勝を狙える選手が各組に3、4人がいる。まずはここを通過しなければ始まらないから、とにかく積極的に前に出た。僕の一番よい形かもしれない。残り6周から少しずつペースを上げながら先頭を引っ張る。足をなるべく使わないようにして、うまーく滑らしながら尚且つインを開けないようにしなければならない。すべて作戦通り。最後は2着だったが準決勝からが本当の勝負であり、やっと土俵に上がれる事になった。

 準決勝は5人の組に入った。この時一瞬長野五輪の事を思い出した。あの時も1000mで準決勝に進みながら5人で戦う事になり、結局5番目でゴールしB決勝にも進む事ができなかった。なぜだかあの事が僕の頭の中をよぎった。「今度も5着になってしまったら最悪だなあ」と・・・。でもそれは、少し時間が経ったら僕の頭の中にはもうなかった。それ程集中できたし、大人になっていたのだろう。

 そしてスタート。準々決勝でかなり足を使ったため、このレースは序盤後ろから攻めていく作戦にでた。もちろんオリンピックは他のW杯等に比べて、序盤からハイペースにレースが展開していく事は承知していた。韓国・中国選手が同じ組だったため予想以上のハイペースになった。全然前を抜くチャンスがなかった。中盤はまだ先頭の選手もスタミナが残っているので無理していかず、最後の勝負に賭けた。

 残り1周でまだ四番手。しかし、ラスト半周で韓国選手が転倒し、2番手に上がるチャンスが巡ってきた。そして迷わず行った。だが、中国選手が僕の前に入ってきた為、3番手で終わってしまうのかと思った瞬間、ぱぁーと視界が広がった。前の2選手が転倒したのだ。僕は初めての決勝進出だと直に喜びを爆発させた。

 だが・・・。

 初めて失格と知ったのはTVでもなく、アナウンスでもなく、近くにいたコーチのトランシーバーから「寺尾が失格??」と聞こえてきた。一瞬真っ白になったが、まだ正式な結果がTV画面に出てこなかったので、半信半疑の状態だった。数十秒後画面にDQ(disqualified=失格)と表示された。全く持って状況が把握できず、何も受け入れられない状態だった。

 悔しいとか腹が立つとかそういう状況ではない。何も感情が湧いてこなかった。何にも分からないのだ。

 控え室に戻った。すごく感情的になっていた。今すぐインタビューを受けたら何を言い出すか分からなかった。10分間ゆっくり自分なりに考えた。気持ちを整理させた。迷ったが、ここで何も僕が答えなかったらみなさんがすっきりしないだろうと思って、気持ちを入れてインタビューに答えた。

 インタビューで何を答えたのか、あまり憶えてない。あの時思っていた事をただ言葉にしただけ。あの時点で後ろを振り返っていては、僕は前に進めなかった。次に行かないと人間は進歩しない。前向きに物事を考えていかないと、いつまで経っても寺尾悟は2月16日で止まったままになってしまう。

 僕はあの時確信した。きっと最後にドラマが待っているだろうと。それはどういう形で表現されるのか分からなかったけど、何か胸の奥から感じるものがあった。もう長野の頃の僕ではなかった・・・。

<続く>


3月11日(月) 開会式〜1000m

 久しぶりの日記。早く書きたかったけれど、中途半端な時間の中で書くのは嫌だった。何日間かに分けて、その想いを伝えていこうと思う。

 今回で3回目のオリンピック。開会式に出るのも3回目。開会式の会場まで選手村から徒歩25分。かなり遠かった。しかも、会場に着いてもまだ入場行進まで時間があったから、そこで立ったまま待ち相当疲れた。

 式の内容はさすがアメリカと思わせる大胆なものだった。始まったら思ったより時間が早く感じたので、疲れの事もすっかり忘れていた。デジカメを持っていったからたくさん写真を撮った。これも思い出の一つである。

 開会式が終わり、再び選手村までの長い道のりを歩いている途中ふと思った。いよいよ僕の集大成が始まるんだなあ・・・と。

 2月13日水曜日。いよいよショートトラックの競技が始まった。

 初日は1000mの予選とリレーの予選が行われた。今回の会場はバスケットボール・ユタジャズのスタジアム。かなり大きく、いったい何人お客さんが入れるのかと興奮した。しかし今までのショートの試合では最高でも3、4千人といったところだと思う。本当にこんなにお客さんが入るかと僕が心配してしまった。

 さて予選が始まる。どんなにたくさんのW杯、世界選手権、オリンピックを経験してきても、やっぱり最初の種目は緊張するものだ。早く予選を通過して気持ちを楽にしたいというのが本音だった。選手はレース直前までリンクサイドに行く事はできず、カーテンを挟んだ内側に選手控え席がある。だから、レースまでリンクの様子を見ることができなかった。僕は予選第1組。カーテン越しに大歓声が聞こえる。

 滑る準備をする為にカーテンを開けると・・・。そこには今まで見たことがない光景が目の前に広がった。ほぼ満員のお客さん。1万5千人以上は入っていたらしい。

 僕は鳥肌が立ち、そして震えた。ある意味ここまでスケートをがんばってきて本当に良かったとさえ思った。それほどたくさんのお客さんの前で滑れる事が何より幸せに感じた。

 レースがスタートし、今までの緊張感は自然と解けてきた。そしていつもの僕で滑っていた。結果は2位だったけど、それでも僕は満足した。調子は悪くない。

 まずは予選通過。3日後の準々決勝からの滑りに自然と期待が持てた。

〜続く〜


3月3日(日) 再開・・・!?

 久しぶりの日記の再開。

 たくさん書きたいのですが、帰国してから超多忙の為、少し落ち着いてから書きたいと思います。

 それにしても日本に戻ってから花粉症が辛い・・・。

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